天才ベーシスト・ルイズルイス加部の伝説|死因の真相と音楽史に残した功績
日本のロック黎明期から半世紀以上にわたり、常識を打ち破る圧倒的なベースプレイでシーンを牽引した天才ミュージシャン、ルイズルイス加部(加部正義)。ザ・ゴールデン・カップスで鮮烈なデビューを飾り、Pink Cloud(ピンク・クラウド)やスピード・グルー&シンキなどで見せたそのプレイは、国内外のアーティストや音楽ファンから今なお「唯一無二のベースヒーロー」として語り継がれています。
2020年9月に惜しまれつつこの世を去ってからも、その卓越したグルーヴと唯一無二のグルーヴ感は色あせるどころか、若い世代のリスナーの間で再評価の波が広がっています。本稿では、ルイズルイス加部の波乱に満ちた生い立ちから、音楽史を塗り替えたバンド遍歴、気になる死因と闘病の真相、そして愛用機材や伝説のエピソードまでを徹底解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:横浜・本牧生まれのハーフとして育ち、ベースの概念を覆す「リード・ベース」奏法で日本のロック創世記を切り拓いた天才。
- 要点2:死因は多臓器不全(享年71歳)。晩年は重い肺疾患を抱えながらも、酸素吸入器を携えてステージに立ち続けた。
- 要点3:Char、ジョニー吉長とのPink Cloudをはじめ、スピード・グルー&シンキなど世界水準のバンドで残した名盤は今も輝きを放ち続けている。
【生い立ちとルーツ】横浜・本牧の米軍文化が生んだ唯一無二のベースヒーロー
ルイズルイス加部こと加部正義は、1948年11月5日、神奈川県横浜市中区でアメリカ人の父親と日本人の母親の間に生まれました。戦後復興期の横浜・本牧エリアは米軍住宅(エリアX)が広がり、フェンスの向こう側から最新のアメリカン・ポップス、ジャズ、R&Bが日常的に鳴り響く特殊なカルチャーの発信地でした。
幼少期から米軍PX(売店)周辺の異国情緒あふれる空気を吸って育った加部は、自然と洋楽のビート感を身体に染み込ませていきました。美少年としても地元で知られていた彼は、10代半ばでギターを手にし、地元横浜のアマチュアバンドで腕を磨き始めます。この本牧仕込みのハイカラなセンスとストリートの感性こそが、後に日本のロック界を揺るがす強烈なオリジナリティの土台となりました。
【名演の系譜】ゴールデン・カップスからPink Cloud、スピード・グルー&シンキまで
加部正義のキャリアは、日本のロック史そのものと言っても過言ではありません。本来はギタリスト志望だったものの、1966年にデイヴ平尾、エディ藩、マモル・マヌー、ケネス伊東らと結成したザ・ゴールデン・カップスにおいて、ベーシストが不在だったことからベースを担当することになります。グループ・サウンズ(GS)全盛期において、カップスは歌謡曲主体の他バンドとは一線を画す本格的なブルース・ロックを演奏し、加部の予測不能でうねるベースラインは瞬く間に全国のキッズを熱狂させました。
1970年には、ギタリストの陳信輝、フィリピン人ドラマーのジョーイ・スミスと共にスピード・グルー&シンキ(Speed, Glue & Shinki)を結成。サイケデリックでヘヴィなストーナー・ロックを展開し、当時としては異例の海外レーベルからのリリースを果たすなど、ワールドワイドなカルト的人気を獲得します。
そして1978年、ギタリストのChar、ドラマーのジョニー吉長と合流し、伝説のトリオバンドJOHNNY, LOUIS & CHAR(後のPink Cloud)を結成。日比谷野外音楽堂でのフリーコンサートを皮切りに、超絶技巧とスリリングな即興演奏がぶつかり合う奇跡のアンサンブルを披露し、日本のスリーピース・ロックバンドの最高峰として君臨しました。
【プレイスタイルと愛用機材】なぜ「ベース界のジミヘン」と評されたのか?
ルイズルイス加部の最大の特徴は、ボトムを支えるという従来のベースの役割を軽々と飛び越え、フロント楽器のようにメロディを縦横無尽に弾きまくる「リード・ベース」スタイルにあります。ピック弾きを主体としながら、ドライブ感あふれるアタック音と、スケールに縛られない奔放なフレーズを繰り出す姿から、国内外のミュージシャンから「ベース界のジミ・ヘンドリックス」と称賛されました。
加部自身は「ベースは弦が太くて重いギターだと思っていた」と後に冗談めかして語っていますが、コード進行のルート音に縛られず、直感でスリリングなカウンターメロディを差し込んでいくセンスは天性のものでした。
愛用機材としては、主にフェンダー・プレシジョンベース(Fender Precision Bass)やジャズベース(Jazz Bass)を愛用。特にサンバーストフィニッシュのプレベをアグレッシブに歪ませ、アンペグ(Ampeg)やマーシャルのアンプで鳴らすサウンドは、重厚でありながら抜けるようなエッジを持っていました。また、80年代以降のソロワークやセッションでは、ギタリストとしても独特の浮遊感を持つフレーズを響かせ、マルチな才能を発揮しました。
【気になる死因の真相】晩年の闘病と加部正義が貫いたロックンロール魂
多くのファンが気に掛けていたルイズルイス加部の最期ですが、2020年9月26日未明、多臓器不全のため横浜市内の病院で逝去しました。71歳でした。
晩年の加部は、長年の喫煙や不摂生も影響し、慢性閉塞性肺疾患(COPD/肺気腫)を患っていました。呼吸機能の低下により、日常生活でも酸素濃縮器の手放せない状態が続いていましたが、それでも音楽への情熱が衰えることはありませんでした。
2010年代後半のライブでは、鼻に酸素吸入用のチューブを装着し、傍らに酸素ボンベを置きながら椅子に座ってベースを演奏する姿が見られました。指先から放たれる音の一撃は極めて重く鋭いままで、命を削りながら音を紡ぎ出すその立ち振る舞いは、多くの後輩ミュージシャンやファンに強烈な感動を与えました。病魔に侵されながらも最後まで現役の表現者であり続けた姿勢こそ、真のロックンローラーと呼ぶにふさわしいものでした。
【伝説のエピソードと素顔】破天荒な逸話と支え続けた妻・家族の絆
ルイズルイス加部を語る上で欠かせないのが、数々の規格外なエピソードです。若き日はその端正なルックスと無頼な振る舞いで、夜の横浜・六本木の街を闊歩していました。リハーサルを気まぐれですっぽかしたり、ステージ上で突然演奏をやめてタバコに火をつけたりといった破天荒な行動も、彼が持つ圧倒的なカリスマ性と演奏力の高さゆえに、誰からも憎まれることはありませんでした。
Charやジョニー吉長との関係性も特別で、互いに強いエゴと技術をぶつけ合いながらも、深いリスペクトと友情で結ばれていました。Pink Cloudのスタジオ作業では、加部がふと弾いた奇抜なベースラインから数々の名曲のリフが誕生したと言われています。
そんな孤高の天才をプライベートで温かく支え続けたのが、妻の加部美穂さんをはじめとする家族の存在でした。晩年の過酷な闘病生活においても、家族の献身的なサポートがあったからこそ、加部は最後まで横浜の自宅で愛器に触れ、ステージ復帰への意欲を持ち続けることができました。
【後世へ遺した名盤】今こそ聴くべきルイズルイス加部のおすすめ必聴アルバム
加部正義の縦横無尽なベースワークを体感するために、絶対に外せない名盤を厳選して紹介します。
1. ザ・ゴールデン・カップス『ザ・ゴールデン・カップス・アルバム』(1968年)
日本のガレージ・R&Bの金字塔。「銀色のグラス」での歪んだファズベースとアグレッシブなラインは、当時の洋楽ロックと比べても先鋭的であり、日本のベース演奏の歴史を変えた一曲です。
2. スピード・グルー&シンキ『Eve』(1971年)
ヘヴィ・サイケデリック・ロックの傑作。ルイズルイス加部の唸るような重低音と、引きずるようなグルーヴが世界的なストーナー・ロックの先駆けとして高く評価されています。
3. JOHNNY, LOUIS & CHAR『FREE SPIRIT』(1979年)
雨の降る日比谷野音で録音された伝説のフリーコンサート実況録音盤。Charのギターと真っ向からぶつかり合い、インタープレイの極致を見せつける加部のドライビングベースは全ロックファン必聴です。
4. 加部正義『MOON LIKE A MOON』(1983年)
ソロアーティスト・ギタリストとしての加部の繊細な音楽世界が堪能できる隠れた名作。ベーシストとしての顔とは異なる、浮遊感あふれるサウンドスケープが広がっています。
【ルイズルイス加部】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:「ルイズルイス加部」という芸名の由来は何ですか?
A1:ザ・ゴールデン・カップス時代、メンバーの愛称やステージネームをつける流れの中で名付けられました。本名の「正義(まさよし)」に加え、ハーフである出自やキャッチーな響きから「ルイズ(ルイ)」が重ねられ、「ルイズルイス加部(マーちゃん)」として定着しました。
Q2:Pink Cloud(ピンク・クラウド)の他のメンバーはどうなっていますか?
A2:ドラムのジョニー吉長氏は2012年6月に肺炎のため逝去(享年63歳)。ルイズルイス加部氏も2020年に旅立ちました。ギタリストのChar氏は現在も日本のトップギタリストとして第一線で精力的な音楽活動を続けています。
Q3:ベースを始めたきっかけは何だったのですか?
A3:元々はギタリストとして活動していましたが、ザ・ゴールデン・カップスの前身バンド結成時にエディ藩がリードギターを担当していたため、空いていたベースパートに回されたのがきっかけです。その結果、ギターの感覚で弾く独自の革新的なプレイスタイルが誕生しました。
まとめ:ルイズルイス加部が日本のロック界に刻んだ永遠のイノベーション
ルイズルイス加部(加部正義)は、単なる名ベーシストという枠を超え、楽器の役割そのものを拡張した真のイノベーターでした。楽譜や定石にとらわれず、魂の命ずるままにフレットの上を疾走したそのプレイは、今聴いても全く古びることなく、瑞々しいスリルと生命力に満ちています。
横浜のストリートが生み出した孤高のグルーヴは、彼が遺した数々の名盤やライブテイクの中に生き続けています。日本のロック史に刻まれたその偉大な足跡に、ぜひ改めて耳を傾けてみてください。 (出典: ルイズルイス 加 部(Yahoo!ニュース))